浦和物語 歴史が薫る文教都市

  • 歴史が薫る文教都市
  • 趣ある第一種住居地域
  • 次の世代へと続く進化

「伝統」文人、画家を惹き付けた街

宿場として栄え、「県都」の伝統を誇る地。

江戸時代から中山道の宿場町として発展を続けてきた、浦和。明治時代以降には埼玉県庁がおかれた「県都」として、行政だけでなく教育・文化面でも埼玉の中心地となりました。 平成13年に浦和市・大宮市・与野市が合併して“さいたま市”となり、その後に浦和区が誕生。県の中枢であるとともに、さいたま市の都心としての役割も担っています。 旧中仙道周辺の街並みや神社仏閣には歴史の薫りが。調(つき)神社は浦和屈指の古社で、鬱蒼とした鎮守の杜が見事。弘法大師の開山と伝わる玉蔵院には、江戸時代の豪壮な堂宇が建ち並んでいます。

調(つき)神社

調(つき)神社
[徒歩16分・約1,250m]

玉蔵院

玉蔵院
[徒歩19分・約1,490m]

名門校が育まれ、文化人も集った文教都市。

宿場で文化人の往来が多かった浦和は、幕末頃から教育への関心が高まり、私塾や寺子屋が多数開設されました。 明治時代になると埼玉師範学校(現・埼玉大学教育学部)が置かれ、さらに教育施設が充実して文教都市・浦和が誕生します。 県立浦和高等学校は明治28年の創設以来、各界に優れた人材を輩出。 県立浦和第一女子高等学校、中高一貫校の市立浦和高等学校などの名門校も揃い、教育熱心な街という個性を育んでいます。 また、関東大震災後には「鎌倉文士と浦和画家」といわれ、多くの芸術家がアトリエを構えて活動していました。

県立浦和高等学校

県立浦和高等学校
[徒歩31分・約2.480m]

県立浦和第一女子高校学校

県立浦和第一女子高校学校
[徒歩16分・約1,280m]

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