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櫻井幸雄の人生相談

2018.09.27

Question

第23回 気に入ったマンションは予算オーバー。価格が下がるのを待ってもよい?

櫻井先生こんにちは!
51歳独身、現在新築マンションの購入を検討しております。都心で駅チカ、内装もかなり気に入り、料理好きな僕を唸らせるようなキッチン設備の整ったマンションがあり、文句なしのお気に入り物件を見つけました!

ただ、残念なことに予算オーバー。誰もが気に入るような理想のマンションはやはり予算もそれなりに…。ということで、あと100~150万値下がりしたら手が届きそうな感じなのですが、ギリギリ買えない…そんな状況です。

気持ちとしては値下がりまで待ちたいですが、値下がりを待ったところで希望通りに下がるか分からないし、下がったとしても売れ残り部屋になってしまうし…。
こうやって待っていても無駄なのでしょうか?

どうしても手に入れたいのに手に入らない…こんなもどかしい気持ち、どうしたらよいでしょう?櫻井先生教えてください!
(51歳会社員男性)

迷わず、すぐに買ったほうがよいというのが私の見解です。「すぐ買ったほうがよい」という合理的な理由は、この後説明します。しかしその前に、不合理な理由を挙げましょう。

買い物は、多少無理して買ったモノのほうが喜びと満足感は大きい。このことです。たとえば、高級腕時計が欲しい、と思った。でも、予算オーバー。

だから、似たデザインで別ブランドの時計を買った。その後、どうなると思いますか。やっぱり最初に狙っていた時計が欲しい、という気持ちを捨てきれず、最終的に買うことになるケースが多いでしょう。だったら、最初から狙っていた高級腕時計を買ったほうがよいのです。

もちろん、世の中には、そう思わない人もいます。「無理するのは厳禁」「安いのが一番」と、物欲よりも節約欲や貯蓄欲の強い人です。そういう人であれば、より安いモノで満足できます。

でも、ご質問者は物欲の強いタイプと推測されます。なにしろ、予算オーバーでもそのマンションを諦め切れないのですから。私もそのタイプです。欲しいモノがみつかったら、なんとしてでも手に入れたくなる。ただ、歳を重ねると、だんだんその「なんとしても欲しいモノ」が減ってきます。若い頃は欲しいモノだらけだったのに。それはそれで、寂しいものです。話が脇道にそれました。

とにかく、物欲が強いのは、わるくありません。向上心や探究心も強くなる積極派といえるからです。ご質問者は、今「なんとしても欲しいモノ」が目の前にあります。買っちゃいましょう。それが「正のエネルギー」を生み出すはずです。

諦めれば、「負のエネルギー」が残ってしまう。それは、嫌ですね。

さて、ここから、合理的な理由に入りましょう。「都心で駅近」という条件を満たすマンションは、この先、値下がりすることは考えづらいです。無理した結果、5年後か10年後に手放さなければならなくなった、としても、売却益が出る可能性が高いでしょう。つまり、損をするリスクが低いのです。

といっても、これからマンション価格が下がるのではないか、という不安がありますね。ご質問者もその点を心配しているようです。果たして、本当に下がるのか。今言われていることを検証してみましょう。

●少子化でマンション価格が下がる?
——都心部は人口増で、外国人も増えています。少子化で下がることは考えづらいでしょう。

●東京五輪の後、下がる?
——下がる、暴落するという人たちは3年前から、そう言っています。でも下がっていませんね。2020年東京五輪の後で、リニア中央新幹線が開通し、新東名も開通。首都高速都心環状線の工事も東京五輪後に始まります。山手線新駅、豊洲新市場の賑わい施設、新交通システムのBRT、カジノも東京五輪の後。東京五輪は通過点でしかないので、五輪後に下がる可能性は低いとみています。

●生産緑地の放出で、下がる?
——生産緑地は山手線の内側に1箇所もありません。郊外の駅から徒歩15分以上の場所に小規模のものが分散して存在しています。マンション用地になるとは考えづらいです。

これからの日本はインフレに進むと思われます。インフレの時は「人より早く買った人が勝ち」です。デフレの時代は待てば待つほど安くなったので、「後から買う人の勝ち」だったのと正反対ですね。

デフレの発想でインフレに向かうと、大きな得を逃すことがあります。そのことも覚えておくとよいでしょう。

情報提供:住宅ジャーナリスト 櫻井幸雄

1984年から週刊住宅情報の記者となり、99年に「誠実な家を買え」を大村書店から出版。以後、多くの著書を送り出し、新聞雑誌への寄稿、コメント出しも精力的にこなす。2000年の文化放送「梶原放送局」を皮切りに、テレビ・ラジオに多く出演。