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櫻井幸雄の人生相談

2018.11.05

Question

第26回 【人生相談編】主人の転勤が決まりました。私はついていくべきでしょうか?

櫻井先生、はじめまして!主人の転勤が突然決まり、困惑しています。

現在、東京都内に夫婦2人で暮らしております。子どもは居ません。
結婚して12年目となり、共働きで、4年前に購入したマンションに住んでいます。

今までは、主人の転勤の心配はなかったのですが、2年前に主人の会社で部署の異動がありました。新しい部署は転勤の可能性もあると聞いていたので、内心心配していたのですが、ついに先日、転勤の辞令が出てしまいました。転勤先は東京から、かなり離れた場所になります。

私は、今の住んでいる場所も、購入した家もとても気に入っており、友達や両親も近くに居るので、正直今住んでいるところから、離れたくない気持ちが強いです。それに、今勤めている会社を辞めて、新しく住む街で転職できるかも不安です。まだ家のローンだって、たくさん残っているのに…

もちろん主人のことは心配ですし、主人についていくべきだという事も分かっているのですが、どうしてもまだ受け入れることが出来ず、私の気持ちもまだ伝えられておりません…

櫻井先生、私はやはり主人についていくべきでしょうか?教えてください!
(37歳 会社員妻)

転勤が決まったとき、夫を単身赴任させる理由で多いのは子どもの教育問題。せっかくいい学校に入ったのに、転校させるのはかわいそう、などという理由は家族で一緒に転勤先に住むことを諦めさせるのに十分なものでしょう。

もうひとつ、転勤先についていくことを悩む大きな理由となるのは、妻がやりがいのある仕事についており、その仕事を辞めると、二度と復帰できそうもないこと。この場合も、家族で一緒に転勤先に住むことは諦めがちです。このほか、親の介護で単身赴任せざるを得ないなど、「一緒に行けない」理由はいろいろあります。

しかし、ご質問者には、そのような決定的理由はないように感じられました。シンプルに、今の生活、今の場所を離れたくない……。それは、そうでしょう。知らない場所に行って、生活や人間関係をゼロからつくり上げるのは大変です。今のままであれば、どれだけ楽か。できることなら、今の生活を続けたい。その気持ちは分かります。が、ご主人も同様の気持ちではないでしょうか。

転勤の多い会社で、最も人気のある転勤先は沖縄だと聞いたことがあります。沖縄転勤ならば、本人も家族も喜んで赴任するケースが多い。でも、それ以外は、行くことに少し戸惑ってしまう。それが、転勤の実情というものでしょう。ご質問者の場合、「私は残る」と言っても、ご主人は納得してくれるはずです。行きたくない気持ち、ここに残りたい気持ちは痛いほど分かるからです。でも、と心の中で思うでしょう。

「転勤?分かった。支度は全部任せて。どんなとこかしらね。向こうでの生活もきっと楽しいわよ」そう言ってくれたら、どんなにうれしいか。この女性と一緒になってよかった、と思う瞬間ではないでしょうか。

どんな局面になっても助け合う、と結婚した直後は誰しも思うでしょう。しかし、時間が経つと、実際に助け合っていると実感できる場面は決して多くはありません。ご質問者は今、人生のパートナーを助ける女気を見せるチャンスなのです。それに、ご主人を単身赴任させたら、わるい虫が付くかもしれません。

わるい虫は、ご主人にその気がなくても付きます。仕事はできるけど、家のことはからっきし、というタイプの男性は少なくありません。ご質問者は「もちろん、主人のことは心配ですし」とおっしゃっているので、「家のことはからっきし」タイプなのかもしれません。

その場合、転勤先で世話焼きタイプの女性が近づいてくる可能性がないとは言い切れません…もちろん、これは冗談ですが、世の中、何が起きるか分かりません。できる限り、一緒にいたほうがよいというのは、紛れもない事実でしょう。

なお、今住んでいるマイホームは、住宅ローン返済中であっても賃貸に出して家賃を受け取ることができます。本来、住宅ローンを組んで購入した家を賃貸に出してはいけないのですが、「転勤」と「転地療養」の場合は、特例として賃貸に出すことが許されています。つまり、大手を振って賃貸に出し、毎月のローン返済を家賃でまかなえるわけです。

その上で、転勤先では、会社から家賃補助を得て賃貸を借りて住むことになるのが普通です。マイホームを買った人にとって、転勤はそんなにわるいことばかりではないのです。

情報提供:住宅ジャーナリスト 櫻井幸雄

1984年から週刊住宅情報の記者となり、99年に「誠実な家を買え」を大村書店から出版。以後、多くの著書を送り出し、新聞雑誌への寄稿、コメント出しも精力的にこなす。2000年の文化放送「梶原放送局」を皮切りに、テレビ・ラジオに多く出演。