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櫻井幸雄の人生相談

2019.04.04

Question

第36回 私のほうが旦那より収入が多いのですが、住宅ローンの組み方に迷っています。

櫻井先生こんにちは。現在旦那と2人で賃貸マンションに暮らしています。
ゆくゆくは子どもが欲しいと考えているので、新築マンションの購入を検討しております。

住宅ローンを利用しての購入を検討しておりますが、どのようにローンを組めばよいか迷っています。というのも、共働きで働いているのですが、私のほうが旦那よりも年収換算で150万円ほど多く頂いており、貯金も多くあります。

また、私の勤めている会社のほうが規模が大きいので、ローン審査のことなどを考えると私の名義で組んだほうがよいのかなと思っています。

ただ、これから出産や育児で働けなくなる可能性もあるので、そういった将来的なことも考えると旦那の名義でローンを利用したほうがよいのかな... と悩んでいます。旦那はローンが組めて、住みたいマンションを購入できればよいと思っているようで、特にこだわりはないようです。

櫻井先生、私たちのようなケースでのオススメの住宅ローン利用方法がありましたら、アドバイスいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。
(30代 会社員女性)

ご夫婦で力を合わせてマイホームを購入されるのですね。人生で最も楽しい時期の1つだと思います。おめでとうございます。

さて、「マイホーム購入のための住宅ローン」についてのご質問ですね。夫婦どちらの名前でも住宅ローンを組むことができるが、どうしたらよいか……どちらの名前でも借りることができるのであれば、「共有名義」というのはいかがですか。

新居の持ち主は夫婦2人。住宅ローンを借りるのも2人にして、持ち分は半々でも6:4でもかまいません。2人で資金を出し合ってマイホームを買うわけです。

そのメリットは、ズバリ住宅ローン控除をそれぞれ利用できること。1人だけの名義で住宅ローンも1人で借りると、ローン控除額すべてを消化しきれないかもしれません。住宅ローン控除は払った税金(所得税と住民税)が戻ってくる制度なので、払った税金が控除額よりも少ないときは、控除枠を使い切れない事態が起きるからです。

たとえば、控除額が毎年40万円あるのに、払った税金が30万円の場合、戻ってくるのは30万円。40万の枠を使い切れません。

その点、共有名義にしておけば、それぞれに住宅ローン控除が発生しますので、合算した控除額が大きくなる可能性が高くなります。1人で住宅ローンを組んだ場合と、共有名義にして2人でローンを組んだ場合で、どれくらい控除額が変わってくるか————それは、マンションの販売センターなどで、販売員に計算してもらうことができます。

そして、住宅ローン控除をフルに活用するためには、あえて頭金を少なくして、借り入れを多くしたほうが有利、というようなアドバイスももらえます。頭金として用意したお金はそのままとっておき、住宅ローン控除が終わったところで、繰り上げ返済に回せばよいのです。

一方、共有名義にしたときの短所は、離婚したときの処理。離婚することになったとき、どちらが家をとるか、残った2人分のローンをどうするか、で困ることが多くなります。

でもねえ、と私は思います。最悪の事態を考えていたら、何もできません。それに、共有名義を避け、どちらか1人の名義にしても、離婚したときは「家をどうするか」でやっぱり困るものです。

その点、賃貸に住んでいれば、問題は少ないでしょう。しかし、「将来、離婚するリスクを考えたら、マイホームを買う気になれない」という考え方もどうかと思います。配偶者にそんなこと言われたら嫌です。

離婚することなど考えず、夫婦で力を合わせてがんばろうと言って欲しいですよね。ご質問内容を読み返してみると、ご質問者のほうが高収入でも夫は気にしていないようです。

妻名義の家に暮らしても平気とか……気持ちが大らかな方なのでしょう。そして、2人協力しあっているご夫婦の姿が想像されます。マイホームも、2人の共有名義で購入されてはいかがでしょうか。

将来、子どもが生まれて、一時的に仕事が途切れたときは、蓄えを崩したり、夫にがんばってもらって2人分のローンを返済。子どもがある程度大きくなったら、また仕事を再開されるとよいでしょう。

ちなみに、将来、出産・子育てで休職した場合、収入のない期間は住宅ローン控除がなくなります。しかし、その後、復職すれば、また住宅ローン控除を受けることができます。このようにお得な制度はフルに活用したいものです。

情報提供:住宅ジャーナリスト 櫻井幸雄

1984年から週刊住宅情報の記者となり、99年に「誠実な家を買え」を大村書店から出版。以後、多くの著書を送り出し、新聞雑誌への寄稿、コメント出しも精力的にこなす。2000年の文化放送「梶原放送局」を皮切りに、テレビ・ラジオに多く出演。